プロフィール

スリープデッド

Author:スリープデッド
弱いものを叩く力より
弱いものをまもる勇気

大嫌いなもの:きれいごと

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

カウンター

ブロとも申請フォーム

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

危険!奴がいます「罪の重さ」

 小学校1年生の女の子が惨殺された。またか・・・。そう思ったのは僕だけではないはずだ。犯人の目的については考えたくもない。どうして、どうしてまた被害者が生まれてしまったのか。こういう犯罪が行われる度にいつも思うのだが、子供を惨殺した野郎には有無を言わさずに死刑にするという法律はできないのだろうか?
 というと、すぐ「刑罰については法の下での審判が」うんぬんを語るのだが、そんなことをしているからいつまでたっても犯罪が減らないのではないのか?
 悪いことをすると罰則があり、その罰則があるから誰も犯罪は犯さない。というより、普通は誰も犯罪なんかしようなんて思ってないはずなのだ。
 しかし犯罪は生まれてしまう。まあ色々理由があるが、「ばれてもどうせ軽い刑にしかならない」という風潮が最近とくに広まっているからだろうな。
 思い返してみてごらん。どう考えても死刑だと思っていたのに、死刑にはならず良くて無期懲役、悪くて数年の刑務所暮らしを言い渡されただけの判決が多かったことを。
 しかも少年犯罪に限っては、その罰則さえない始末。この、罰則に関する甘い判定が犯罪を助長させる原因なんじゃないのかぁ?
 よく言われることに「罰則を重くしたからといって犯罪は減らない」という言葉がある。なるほど、それは確かだ。なぜなら例えどんな罰則が待っていようとやる奴はやる。やるのだから罰則の意味がない。なるほどね。でもさ、その理屈をいえばどんな罰則も意味がなくなり、法律という概念さえ意味をなさないではないか。
 そして罰則を軽くしてしまったために、「どうせ捕まってもいいや。運がよけりゃ逃げれるし、最悪数年刑務所入ってればいいだけさ」ということになり、どうせなら自分の好きなことをしてもいいやという風潮になってるって、気づかないのか?
 罪の重さはどこにあるのか? そしてそれは赤の他人が計れるものなんだろうか? 俺は思うが、犯罪の大きさではなく、被害者の心の傷での罰則が出来ないものだろうか? たとえば万引きで死刑になるなんておかしいといい、笑うかもしれない。しかし例えば万引きされた店の人が、責任をとって自殺した場合、それは人殺しにならないのか?
 いじめで自殺まで追い込んだ野郎。婦女暴行によりその人の一生を奪った野郎。こういった野郎達は人殺しにならないのか? 人殺しにもならず、なんの罪にもならないのだろしたら、罪というのは一体なんなのだ?
 人を殺せば死刑の候補になるが、そうじゃないものはまず候補にならない。しかもその人殺しに関してさえも必ず死刑の候補になるとは限らない。
 今回の件についてもそうさ。絶対に死刑になると犯人が認識していれば防げたかもしれない。誰もが死にたくないし、特にこういう他人の命にはまったく興味がないくせに、自分の命だけは尊いものだと思っていやがる野郎については特にそうだろう。
 「死刑は廃止すべきだ。人を殺したからといって犯人を殺しても、その死んだ人は帰ってこない」。そういうありがたぁ~いお説教は飽き飽きだ。そんな寝言をいい、犯人に対して甘い言葉を投げ掛ける暇人が多いから、いつまでたっても犯罪が減らないんだ。わかんないのか!
 法律は誰のためにあるのだ。弱い者をまもり、その弱いものを苦しめた者を裁くためにあるんじゃないのか? ところが実際には人の心を持たない犯罪者を助ける手助けをしているこの皮肉。
 罪の重さは「人を殺した」「物を盗んだ」という概念だけで語られるものなのだろうか? それって「人を殺した場合は、こういう罰則」「物を盗んだ場合は、こういう罰則」という、カテゴリー分けされたものを読んでるだけとしか思えないぜ。なんか俺には、「そうか、女の子が殺されたか。よしよし、こういう場合は○○の○ページ目のなになににこう書いてあるから、罰則は○○だな」という、安直なものにしか見えないけどねえ。感情を入れてはいけない。感情でものを判断してはいけない。そんなのわかってるよ。だけど、わかってるけど、わかってるんだけど、被害者が出たという話を聞く度に、もしこういう犯罪は絶対に死刑になるとなっていたら犯人は同じことをしただろうかと考えてしまう。罰則は抑止力でなくてはいけない。しかしその抑止力がなんの効果もないのだとしたら・・・。
 罪の重さはカテゴリー分けされたきれいな本を読むと理解できるという代物ではない。被害者が受けた心の傷の大きさこそが罪の重さなのだ。



罪の重さって一体なんなんやろう?第三者ではなく、被害者側に立った考え方は出来ないものなのかなあ?

2001 スリープデッド(NBEで連載していたときのコラムです)
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://kikendesu.blog84.fc2.com/tb.php/8-23ebe944

 BLOG TOP 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。