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わたしの心の命のビザ

俺のもっとも尊敬している人に、杉原千畝という人がいる。
千畝さん、通称せんぽさんは、今から100年以上前の1900年1月1日(!)に生まれ、24年後の24歳のときに外務省の役人に。
満州・フィンランド・ドイツといった数カ国の日本領事館に勤務し、1940年の夏にリトアニア共和国首都カウナスの日本領事館に派遣され、領事代理となる。
このリトアニアに派遣されていた数カ月が、俺にとって千畝さんが一生忘れ去られることのない偉大な時間を過ごした期間であったといいたい。

千畝さんは一体なにをしたのか?
1940年といえば第2次世界大戦により世界は戦火のまっただ中。
特にドイツでのヒットラーによる「ユダヤ人は自国を持たず、どこに行っても嫌われ者だからそのユダヤ人を殺すことは正義である」という政策によりユダヤ人は迫害・殺害と、今では信じられない冷遇を受けていた。

そのためユダヤの人々は中立国であったリトアニアに逃げ、不安のなか生活をしていたのだが、突然ソ連(今のロシア)がリトアニアを併合することが決定。
もしそうなってしまえばリトアニアも戦火に巻き込まれ、自分たちは逃げ場を失ってしまう。
なぜならソ連とドイツが戦いをはじめるのは誰の目にも明らか。
そうなればドイツによるユダヤ人迫害の手はもう目の前だ。
唯一の方法はリトアニアから脱出し、安全な国に逃亡することであったがすでにポーランドをはじめとする逃亡手段が利用できそうな国はドイツにやぶれていた。

そこで唯一残されていた日本の通過ビザを取得し、オランダ植民地であるキュラソー島(カリブ海)に逃げるしかなかった。
キュラソー島は税関もなく、というよりなにもない小さな島であったが、ユダヤ人を受け入れてくれる国は当時どこにもなく、ほとんど冗談としか思えない方法であったがもうこれしかなかった。
それぐらいユダヤの人たちを救う方法はなにもなかったのである。

とにかく日本の、日本の通過ビザが欲しい!

リトアニアに残されたユダヤの人々の心の叫び。
ビザを求めたユダヤの人たちは日本領事館に殺到。
現状を知らない千畝さんが朝早くに日本領事館から外を見ると、辺り一面に埋め尽くすようにあふれるユダヤの人たちを見て驚いたことだろう。

あまりの人の多さに驚いた千畝さんも、ユダヤの代表の人と話すことにより現状を認識。
しかしすぐには行動を起こせなかった。
なぜなら当時日本はドイツと同盟を結んだ、いわば仲間の国。
ビザを発行するということはその仲間の国が行っている「ドイツ人迫害」を邪魔する、いわば裏切り行為になるわけだ。

大国であるドイツを裏切る。
そんなことはどんな理由があっても許されるはずではない。
同盟を結んでいない国でさえドイツを恐れてドイツに嫌われまいとする時代である。
同盟を結んでいる国ならば、なおさら嫌われるわけにはいかないのだ。

千畝さんは悩んだ。
悩んで悩んで、悩み抜いた。
だけど、どうしようもなかった。
なぜなら千畝さんも一人の人間。
ドイツに逆らう。
いや、ドイツだけではない。
ドイツに味方、ゴマをする数々の国。
そしてなにより自国である日本。
日本国がそんなことを許すはずがない。
もしユダヤの人たちに協力したために自分、そして自分の家族に何かあったら。
千畝さんはユダヤの人たちの声を聞くわけにはいかなかった。

・・・だが、日にちは過ぎても消えない領事館を取り囲むユダヤの人々。
駄目元で日本に「ユダヤの人たちへのビザの発給」を願うも、拒否を二度も食らう。
やはりダメか。
千畝さんは多いに悩む。

しかし一週間が過ぎた7月25日、千畝さんはついにユダヤの人たちにビザの発給を決意。
最初にテスト的に数人に発行。
その後「日本領事館では逃亡のためのビザを発給してくれる」という噂がリトアニア中を駆け巡りさらにユダヤの人々が殺到。
そこで千畝さんは「ビザを発行する!」と本格的に宣言。
千畝さんは寝る間も惜しんでひたすらビザを発行し続けた。

だが、そんな動きを日本が手放しで見守るわけはなかった。
8月2日、外務省より日本領事館の退去命令がくだされ、ソ連とリトアニアも併合が完了。
ソ連からも退去を命じられる。
しかし千畝さんはその言葉を無視し、ひたすらビザを発行し続けた。

8月26日ついに日本領事館閉鎖。
千畝さんとその家族はホテルに移動していたがその場でもひたすらビザの発行を行う。

9月5日、千畝さんとその家族はベルリンに渡るためカウナス駅に到着。
しかしその駅のホームでも時間の許す限りビザを発行し続ける千畝さん。
だがそんな千畝さんも走り出す電車にはかなわずついにビザの発行を断念。
このとき千畝さんはこう言ったといわれている。

すまない、わたしにはもう書けない。

千畝さんが残したメモ「杉原リスト」には2139人のビザを発行したユダヤの人たちの名前が刻まれている。
だがその家族、そして記録には残っていないだけで実際は発行しているものも合わせると実際は6000、8000人の命を救ったと言われている。

だが、これだけの偉業を成し遂げた千畝さんに、外務省は暖かい顔を見せることはなかった。
そればかりか、実はユダヤ人から法外な金を巻き上げたという陰口まで叩かれた。
命をかけて人命を救った千畝さんに、外務省のエリート共は冷たい目で見つめ、陰口を叩いていたのだ。

1947年、長年勤め上げた外務省を千畝さんは退職。
別の姿での人生を送ることを決意するのであった。

長きにわたる戦争も終わり、世の中はもう戦争中ではないという空気が流れる中、ユダヤの人たちにある動きが見え始める。

俺たちを救った恩人にお礼をいいたい。

すっかり外務省のことも忘れ、生活をしていた千畝さんの元に1985年1月、イスラエルから声がかかる。
それは、杉原千畝さんが「ヤド・バシェム賞」(諸国民の中の正義の人賞)を受賞したとの報告であった。

沢山のユダヤの人たちからの祝福の言葉。
千畝さんによってわたしは命を助けてもらった。

それは千畝さんにとって、なにごとにも替えがたい言葉だった。

俺は千畝さんの偉業を思い出すたびにいつも思うのが、チカラってなんなんだろうということだ。

普通に考えればケンカの強い、いわば腕力を指さすのかもしれないが、金の力である財力もあれば国の力である権力もある。
人望も力だろうし、人気も力になるだろう。

と、このようにチカラも様々なものがある。
だけど、そのチカラを持っているにも関わらず、誰もリトアニアにいるユダヤの人たちを救うことは出来ず、救ったのは弱い個人である千畝さんなんである。
確かに千畝さんは外務省、日本領事館という看板がチカラであっただろう。
しかしそれを持っている、いや持っているからこそ千畝さんはチカラを使えなかったはずだ。
なぜならドイツにケンカを売ることも、日本に逆らうこともできなかったのだから。
だが千畝さんはユダヤの人々を救った。

チカラって実はいざというときにはなんの役にもたたない。
だって弱いものすら護れないんだよ。
なんのために持ってるのかわからん?
と俺は思うわけよ。

考えてみればチカラって、実にいい加減な存在だ。
弱いものいじめを見ればわかるじゃん。
集団で一人の弱い子をいじめる。
それってチカラなのか?

どんな正しい意見でもチカラでねじ伏せる。
それってチカラなのか?

強者の顔色をうかがって弱者を倒す。
それってチカラなのか?

そりゃ俺だって数の側についてたほうが楽だって思うよ。
いじめる側について弱い子をいじめていればクラスの人気ものにもなれるし、強い奴だと思ってもらうことができる。

2ちゃん語を使って2ちゃんの応援やまとめサイトを作っていれば大勢の2ちゃんねらを味方にできて、2ちゃんねるに嫌われることもなく生活できると思うよ。

強者=大勢
弱者=少数

誰が見ても強者につくほうが気分的にも楽、そして勝つことが出来るって普通は思うよ。

でも、でも本当にそれでいいのか?
数につく、強者につくことを自分は本当に納得するのか?

もし強者側についた場合、リトアニアにいるユダヤの人々はどうなっていたのだろう?
千畝さんはビザを発行することを決意したときにこう思ったという。

弱者あつかいのユダヤの人々に恨まれるよりも、圧倒的な強者に好かれるほうがいいと思った。
だけど、これはわたしにしか出来ない、そしてなにより人道、博愛精神第一という結論を得た。
これによりわたしはなにも恐れることはなく行動を実行した。


俺はこの言葉を聞いた時、杉原千畝という人を動かしたのは勇気なんだと気づいた。

勇気

チカラはさっきも書いたけど色々なことで補うことが出来る。
腕力のないものは金を、権力のないものは腕力を、金のないものは腕力を。
それぞれ補うことが出来る。

だけど勇気は、勇気はなにも補うことができない。
なぜなら勇気は、個人の心の強さでしか持つことができないのだから。

弱いものいじめ大好きな集団につくチカラ。
そんなものチカラじゃねえよ。
チカラってのは集団につくことではなく、たとえ一人になっても己の信じたことを行う、それがチカラさ。
強者に嫌われたくないなんてのはチカラでもなんでもないんだよ。

弱いものを叩くチカラより、弱いものをまもる勇気

わたしにはチカラはありません。
でも勇気なら誰にも負けません。

チカラはないのに勇気はあるって、なんかかっちょいい!!!

杉原千畝さんは「ヤド・バシェム賞」を受賞したときに、こういう言葉を残している。

わたしがしたことは歴史が証明してくれる。

10年20年たったとき弱いものいじめに対して、果たして歴史が証明してくれるだろうか?
その場だけでしか生きないチカラ。
そんなのクソの役にもたたねえよ。

俺の元には、毎日弱いものいじめや2ちゃんねらとの戦いについてのご意見をいただいている。
俺もそうだけど、みんな弱い個人ばっかりだ。

だけど千畝さんも実際そうなんだけど、歴史にとってなにか重大なことってのは多数の人々ではなく、
「なにかしたい。世の中を少しでもいいから変えたい。弱いものをまもりたい」
という少数の人たちによって動いているという疑いのない事実がある。

奴隷制度を廃止したのは圧倒的なチカラを持つ権力者ではなく、少数の差別なんてくだらないと思って戦った人々だった。
犯罪者の権利ばかり強調されている時代に、それを変えた、変えようとしているのは弱い被害者のみなさんだ。
けっして権力や社会的にチカラのある弁護士やエリートではないんだよ。

世の中ってのは正しいことをしようとすれば、必ず邪魔が入ってくる。

あるものは中傷し、あるものは別のチカラを使って弱いものいじめの対象としてくるだろう。

千畝さんも「正義面した金の亡者」と陰口を叩かれていた。
だけどそれに負けなかった。

だって千畝さんは本当に弱いもの助けたいという思い、強い勇気を持って行動したのだから。

わたしのところに「もう2ちゃんねるとの戦いには疲れた」という言葉を送ってくれた人たち。
確かに苦しいでしょう。
わたしも辛い時はあります。

だけど勇気、強い勇気を持ってがんばりましょう。

考えてみれば千畝さんが戦ったドイツ・日本なんかより、弱いものいじめ大好きな連中や、2ちゃんねらなんかぜんぜん楽じゃないですか。

引きこもりで異性との会話はコンビニで買い物するときぐらい程度のキモチワルイ奴なんて、よわいよわい。

そんな弱い連中なんて、全然こわくないですよ。

弱いものを叩くチカラより、弱いものをまもる勇気

確かに弱い個人にとって、多数のクズと戦うのは辛いこともあるでしょう。
でも勇気があれば、「なにかしたい。世の中を少しでもいいから変えたい。弱いものをまもりたい」という強い信念があれば、チカラなんてどうにでもなりますよ。

杉原千畝さんは自分のビザで命を助かったという人の言葉を聞いた時、本当にうれしそうだった。
それは、何かを成し遂げた男の、自信にあふれた笑顔だった。

俺は千畝さんには到底及ばないけど、近づきたい、近づこうと思う。

日本人は満州で、中国人に対して、ひどいあつかいをしている。
それが同じ人間だと思えない。

私を頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。

人間にとっていちばん大切なのは、愛と人道だ。


千畝さんは勇気を持って、その言葉を心に刻んでいた。
そして勇気を持って、強者に立ち向かい弱者を救った。

そして後になってこういう言葉も残している。

私のしたことは外交官としては間違ったことだっただろう。
だけど人間として正しい行動だったと信じている。


いま強者につくチカラ
それは正しいチカラなのだろうか?
それよりも勇気を持って、そのチカラに背くことこそ本当の自分なのではないだろうか?

勇気
チカラではなく勇気

勇気でチカラなんかゴミ箱へぽいぽいぽい♪
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コメント

日本裏社会(ネット)

当時はイスラエル回復など誰も考えもしなかった時代、その時代にユダヤ人を助けた彼は無償の愛で助けたんですね、それ以外考えられない。日本の闇のネットで戦うスリープデッド氏や反2ちゃんの人達も同じだとわたしは思います、それと助けられた恩を忘れないユダヤ人も凄いと思います。英語とヘブライ語が使われている自治体のホームページは日本で八百津町だけでしょうね

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