仮面ライダーは人間の自由をまもるためにショッカーと闘うのだ!
これは昭和41年の記念すべき第一作、仮面ライダーでオープニングの主題歌の後に流れる有名なナレーションなのだけど、僕はずっとなぜ正義という言葉を使わないのか疑問に思っていた。
仮面ライダーは正義のために闘うのだ!
それでいいのになぜ?と。
そんな折り、仮面ライダーのプロデューサーである平山亨さんが執筆した本、「仮面ライダー名人」という本を知り読んでみると、そのことに関してこう書かれていた。
正義ってね、曖昧なもんなんですよ。なぜならショッカーにも、あのヒットラーにも正義はあるんですよ。
だけどね、人間ってなにが一番嫌かというと、自由を奪われることじゃないかな。
だから仮面ライダーは、人間の自由をまもるために闘う。
それを仮面ライダーの使命にしたんです。
俺はこの言葉を聞いた(見た)とき、さすがは何十年も心に残る作品は違うなと、そう思った。
で、なにを突然こんなことを言い出したのかというと、今この自由がどんどん失われていなくないかと思えてならないんだよ。
たとえば俺がこのブログでなんでもいいや。人々の反感を買うことを書いてしまったとする。
すると、やってくるんだよ。奴等が。ネット界の風紀委員を自負しているあいつらが。
そう、2ちゃんねら。2ちゃんねるを崇拝し、2ちゃんねるこそすべて。それ以外を悪とみなすどうしようもない連中が。
で、最初はいかにも叩かれて当然。スリープデッドと名乗っている頭の痛い奴は叩かれて当然という書き込みをしてくるわけだ。
みんな、こいつは○○に関して○○と言っている。
こんなことが許されていいのだろうか?
そんな書き込みをしてくるわけだ。
すると俺も人間だから、そのことに関して反論するとする。
すると待ってましたかのごとく、怒濤の嫌がらせの書き込みをしてくるわけだ。
しかも巧妙なのが、一見すると嫌がらせに見えない、あたかも意見のような書き込みをしてくるわけだ。
で、また俺が反論するとする。
するともう、待ってましたよ待ってましたよで、さらに俺を中傷する書き込みをしてくる。
そのときはもう、
「こいつ最低」
「おまえ氏ね」
「2ちゃんねる様をなめるな」
「プププ、ワロスw」
という全然当初の内容とは関係のない書き込みをしてくる。
もうスリープデッドはパニックだ。
だって意見とは関係のない書き込みがいっぱい来たら、そりゃどんな人間でも驚いてどうしたらいいのかわからなくなるだろう?
で、ここで俺がどうしていいのか考えて書き込みをしなくなるとする。
すると、
「おいどうした。さっさと反論しろよ」
「わ〜ん、怖いよママ〜ン」
「謝るならいまのうちだぜ、刷りーぷdead」
「眠って死んでんじゃねえの?ワロスw」
という書き込みが山のようにされる。
もう最初に書き込んだ反感を買う書き込みなんかどうでもよくなってしまい、こいつを叩く、叩いて当然ということだけが残ってしまう。
で、普通に考えたら正当な意見はともかく、「眠って死んでんじゃねえの?ワロスw」といった中傷でしかない書き込みを見て、普通は違和感を感じるものだ。
ところがそれを感じさせない、感じられないテクニックがある。
それは、
「叩かれて当然という空気を一度作り上げたら、あとはどんなことがあってもその空気が変わることがない」ふうにすればいいわけだ。
学校の弱いものいじめもそうだろ。
最初はささいなことなんだよ。
単に動作が遅いとか、給食をよく残すとか。
でも、それがいったん弱いものいじめ大好きな連中にかかると、それ以上の悪行に変わってしまう。
奴は動作が遅い。あいつがいるだけでいらいらする。授業が遅れる。そのくせ家で遊んでいるときだけテキパキ動くのがむかつく。
言いがかりとしかいいようのない話にふくらみ、いつの間にかいじめられて当然という空気を作り上げてしまう。
よくテレビなどで頭の中がお花畑の教育関係者とかが、「いじめられる理由」とか口にしやがるけど、理由なんかどうでもいいんだよ。
単に弱いから、いじめても大丈夫な相手だからいじめるだけさ。
そう、理由なんていらないんだよ。
だが、それを周りの連中に納得させるためには理由がいる。
だから話を大きくする必要があるのさ。動作が遅いからいじめるじゃなく、動作が遅いくせに家ではテキパキ動くというふうにむかつく理由を大きくしちゃうのさ。
弱いものいじめには理由はいらなけど、いじめていることを周りに納得させるには理由が必要。
これが弱いものいじめがなくならない原因のひとつだろう。
そしてもうひとつの原因。
それは、ここで自分も弱いものいじめに加わらないと自分も仲間外れになってしまう。
そして下手をすれば自分もいじめのターゲットになってしまう。
その恐怖がさらに弱いものいじめに加わるものを増やしてしまっている。
そうさ、2ちゃんねるというのは弱いものいじめの公図、そのままなんだよ。
ちょっとむかつくという理由だけでターゲットを探し出しみんなで叩く。
ターゲットが反論してきたら、叩かれて当然の空気を作り上げる。
そしてそれを見ている周りのものは、自分も2ちゃんねるに叩かれたくないから2ちゃんねらの一員に加わり、さらにターゲットを叩く。
しかも叩くことによって優越感も得られる最高のおまけ付き。
で、こいつら2ちゃんねらはことあるごとに口にするのが、「言論の自由」だ。
言論の自由というのはな、お互いが言葉で話しあい、時には相手を尊重し、時には相手の間違いを正すからこそ存在しているんだ。
2ちゃんねらが普段やっている、数の力で無理矢理相手より有利な状況を作り上げることじゃねえんだ。
そしてそれは世間では、暴力というんだ馬鹿ものが!
俺はまだ2ちゃんねるなどが存在していなかったインターネットの世界を懐かしく、時には涙するときがある。
確かにそのときも色々あった。自殺志願者の女性に本当に自殺できる薬を渡して殺してしまった事件なんか、覚えている人はいるんじゃないだろうか?
ケンカや言い合いも日常茶飯事で、ネットを見ればケンカが見れるなんて当たり前だった。
だが、それでも現在と決定的に違うのは、そういう状況でも個人個人がなんとかしようとしていたことだ。
だが今は違う。少しでもおかしなことをすれば2ちゃんねるが黙っていない。
そんな世界になってしまった。
一見するといい世界に見えるかもしれない。
世の中の不正や悪を2ちゃんねるが暴いているように見えるかもしれない。
でもそれって本当に楽しい世界か?
なにかあれば2ちゃんねるがやって来る。
少しでも反感を買うことをすれば、2ちゃんねるにアップされ、大勢の2ちゃんねら達に叩かれる。
2ちゃんねるには逆らえない。
2ちゃんねるが怖い。
それって本当に自由な世界か?
そう自由、自由を俺はいいたいんだよ。
なにも俺は犯罪をしてもいい自由や、自分のことだけを考えたわがままな自由をいっているのではない。
むしろ逆、そういう勘違いした自由は叩かれて当然だと思っている。
だが今のように少しでも2ちゃんねるに逆らえば自分が悪者にされてしまう。
2ちゃんねるに逆らってはいけない。
そんな自由本当に楽しいか?
俺たちは俺たちの手で自由をまもるから意味があるんじゃないのか?
すべて2ちゃんねるに判断され、見張られるのが本当に自由なのか?
もう一度仮面ライダーのプロデューサーである平山亨さんの言葉を思い出して欲しい。
「人間ってなにが一番嫌かというと、自由を奪われることじゃないかな」
2ちゃんねるに許してもらう自由って本当に自由なんですか?
俺はそんな自由なんかいらない。
自由は俺、自分自身のものだ。
2ちゃんねるの顔色をうかがいながら行動しなくちゃいけない自由なら捨ててやる!
あと2ちゃんねるを使って弱いものいじめを楽しんでいる連中へ。
楽しむのは勝手だが、もし自分自身でなにかをするときには、今度は叩かれる側にまわるかもしれないということだけは頭に入れておくんだな。
ホームページを作ったら痛い奴だと吊るされるかもしれない。
あるいはなにか仕事上のことでトラブルが発生し、いわれのない中傷をされるかもしれない。
そんなことはない?なぜなら俺は2ちゃんねらだから?
ふ〜ん、そう考えるんだ。
じゃあ聞くけど、2ちゃんねるから爆破予告をして捕まった奴や、名誉棄損で捕まったニュースは2ちゃんねるに上げられていないか?
上げられているだろ?それもおもしろおかしく。
そう、2ちゃんねるは誰もおまえを2ちゃんねるの仲間だなんて思っちゃいない。
単なる暇つぶし、2ちゃんねるのアクセスアップの名誉ある犠牲としか思っちゃいないさ。
そして本当は、2ちゃんねるを好きといい続けないと今度は自分が2ちゃんねるに叩かれ吊るされ、弱いものいじめのターゲットになるって恐れているんじゃないの?
2ちゃんねるのターゲットになる。
それが一番2ちゃんねらにとって怖いことなんじゃないだろうか?
だから2ちゃんねるを好きといい続け、自分は2ちゃんねるの仲間だと思うことによって本当は恐れていないというふうに自分が思い込みたいだけなんじゃないの?
というわけで、俺はこの一言をみなさまにお贈りする。
2ちゃんねるなんてで〜っきれえだ!バ〜カ!!!
2ちゃんねるの顔色をうかがいながら生き続ける自由なんてまっぴらごめんだ。
自由は与えてもらうもんじゃない。
最初から自分で持っているものだ。
いつまでも2ちゃんねるに与えてもらわなくてはいけない自由。
本当にそんな自由を、みなさんは望んでいるのですか?