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「不自由な自由」

 ついに法律が動き出した。ネット上の掲示板などでの誹謗中傷の取り締まりをはじめるというのだ。今までは書き込まれた者の個人的な申告でしか対策はなく、またその個人の申告にしても曖昧な扱いを受けていたため、実質被害者は泣き寝入りを強いられていたが、ついに法律の名の元での取り締まりがはじまるわけだ。
 遅すぎる判断だとも言えるし、なんでもかんでも法律化してしまうことへの疑問もないわけではないが、とにかく泣き寝入りする被害者がこれでかなりの数が救われるのだとすれば、バンバンザイではある。
 さて、早くもこの法案に(わたしも含めて)疑問の声が上がっているようだが、どうしてこういう法律を作ることになったのだろうか?

 このコラムでも何度も取り上げているが、赤の他人への誹謗中傷専門ページがネット界を代表する人気ページにまで発展し、かつてのアングラで闇に隠れた存在ではなくなってしまった。そのため被害者が急増。その数は一日に一人なんていう生易しいものではなくなってしまった。
 どうしてそんなに被害者が増えるのだろう? 変な話、被害者なんか最初に選ばれた数人でいいのでは? だって数人の被害者を大勢で誹謗中傷しててもいいんだからさ。
 実はここで人間の、いや~な面が出てくる。それは、飽きっぽいという面だ。同じ人間ばっかりじゃつまらない。もっと新しいものを、もっとすごいものを。今までの存在を超越するほどのすごいものを。そう、人間のことをもののように例え、まるで新製品でも誕生したかのように見たいわけだ。
 この間のあいつよりも、今回のこいつのほうが叩きがいがある。
 人間を物、楽しめる・暇つぶしが出来る物として考えているわけだ。

 こういった輩も最初はおとなしかったんだろう。どこかの紹介、あるいは偶然ページを見てしまうと、そこでは個人を攻撃して誹謗中傷し、それを楽しんでいる。最初は躊躇するも、やがてそういうことをしても大丈夫だと学習する。それならと自分も参加する。まったく自分には関係のない個人を攻撃する。みんなも自分の話題にノッテきて、仲間に入れた優越感を感じる。
 こんな感じではまって行くのではないだろうか?
 ここのポイントは、最初は躊躇するという部分だ。そりゃ、なかには根っからの他人がどうなろうが知ったこっちゃない野郎も多いだろうけど、ほとんどの人はやはり少しは躊躇するだろう。そりゃそうさ。建前はどうであれ、個人をみんなで攻撃しあうというのは、常識的に考えて良心が痛むものだからさ(何度もいうけど建前はどうであれね)。しかもネットの場合はその個人は自分にはなんの関係もない赤の他人。恨みもなにもない、というよりどんな人物かさえも知らないのだから、なおさらさ。
 だけど、ずっとそういうことが当たり前なんだというものを見続けていると、人間なんて数に付いたほうがいい「長いものには巻かれろ」の精神なうえに、「そうか。こういう誹謗中傷をしても誰にもわからないのか。そうか、そうか。そうなのか」というバレなきゃなにをしてもいいという、本来持っている嫌な精神が混ざり合う、実に「単純」な考えを持っているので、いつの間にやら自分もその仲間入りをしていることがすご~く多い(宗教や悪徳商法の手口を例にせずとも)。

 しかも攻撃を受けている者が慌てふためく姿を見ていると、なんか自分が偉くなった気がしちゃうもんだから、余計に面白くなってしまう。それも自分一人ではなく、大勢の仲間がいるのだから、これほど楽しいことはない。
 俺・僕・私・我輩はなんてすごいんだ。自由だ、自分たちは自由なんだ。なにをしても許されるんだ! そう思い込み、さらに行動はエスカレートする。
 狙った相手の家を監視し、逐一行動を書き込みする。誰が家に入り、どこどこでなにを買ったかなどの詳細を漏らさずに。
 狙った相手の個人情報を集め、さらし者にする。どこどこの学校を卒業し、どこどこで就職したかなどを徹底的に細かくあげ、みんなで笑いものにする。
 詳しいことを知らない人には冗談のように思えるかもしれないが、すべて事実である。
 他にも数えきれないほどあるが、こういった行動を世間では「異常」というのだが、複数になると人間は個人の意見をいうことによって外れてしまうことを恐れるあまり正常としてしまう。誰が考えても異常なのに。あなたこういった行動が正常に見えますか?

 そしてこういったことを非難すると、決まり言のように発せられる言葉。それは、「言論の自由」という言葉だ。言論は自由だ。それを誰にも止めることは出来ないと、奴等は鬼の首でも取ったかのように豪語する。

 しかしこの世の中、なにをしてもいいなんていう理屈は通じない。言論の自由は言論の自由であり、なにをしてもいい自由ではない。
 そしてまた、行き過ぎた自由は、必ず自分自身に返って来ることをみんな忘れてしまっている。だってそうじゃん。なにをしてもいい誹謗中傷のページがあるから被害者が出るわけで、そんなページがなければ被害者なんか出ないだろ? そしてその被害者は、自分自身がならないなんて保証はどこにもないのだ。違うか?
 そして行き過ぎた自由は、国家権力という最上級の力によって止められてしまう。今回の法案もそうさ。あまりにも行き過ぎた自由の歯止めをかけるために儲けられたのだ。

 ネットは弱い者が力を持つことが出来る空間だと言われている。個人による悪徳企業の内部告発。未だに報道されない未成年犯罪者の本名。そういったことも公表できる場だというのは、数年前のとある大企業に単身立ち向かった個人の会社員の例を見るまでもなく、みんなが認識していることだ。しかしそういったこととただの弱い者いじめが同一されているこの異常な自由は絶対におかしい。

 企業の内部告発・名前のでない未成年犯罪者の本名。そういった情報が出たことは収穫として認めてやろう。しかし、関係のない弱い個人まで巻き添えにした現在の自由はどう考えても異常以外のなにものでもない。そう、行き過ぎた自由のため、本来人々の目にさらされなくてはいけないことまでも奪われてしまったのだ。
 
 国家権力に押しつぶされた自由。それはなんとも哀しい話だ。そしてそう仕向けた輩の自由。自由を履き違えた哀れな末路ということか。

実はこのコラム、NBEの「危険!奴がいます」の最終回用に執筆したんだけど、「あなたの中の悪魔」と見比べてみて、最終回にするよりも、このページにアップするほうがいいかと思い、今回やっと日の目を見るようになったという経緯があったります。
自由という言葉は「みんなが楽しく暮らすため」にあるもので、「多数の者が幸せになるために、少数の被害者を出す」という意味ではないことに、みんな気づかないのかねえ?

2001/11/17
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